"忘れられなかった一つの名前" 第1話
昭32の、京郊にある佐藤では、狭い庭の柿が赤くづき始めていた。戦に建てられた造平の借で、台所には輪としいガス台が並び、畳の隅には賦で買ったラジオが置かれていた。所では黒テレビを購入したも増え、夕方になると子供たちが軒の茶のへ集まっていた。
佐藤隆は43歳で、都内の械部品に勤務していた。無で几帳面な男であり、毎朝同じ刻にをて、仕事から戻ると作業着の汚れを玄関で落としてからへがった。妻の静と14歳の男・健、9歳の娘・芳子の4で、決して裕福ではないが穏やかな暮らしを送っていた。
族にはつだけ、隆が誰にも触らせないものがあった。押し入れの袋の奥に置かれた、さな箱だった。
箱は古い聞で何にも包まれ、細い紐で結ばれていた。鍵は付いていなかったが、静も子供たちも、を勝に見ることを禁じられていた。
「でも入っているのかな」
健は幼い頃、妹とそんな話をしたことがあった。しかし、箱は振っても音がほとんどせず、さもしたことはなかった。
ある、静が押し入れの理をしていた、聞の包みが畳のへ落ちた。紐がほどけ、箱の蓋がいた。
に入っていたのは、直径2センチほどの属製のボタンだった。
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表面の模様は錆に覆われ、縁がわずかに欠けていた。価な品ではなく、古い軍に付いていたものだと静にはすぐに分かった。
その夜、仕事から戻った隆は、箱が机のに置かれているのを見ると、らかに表を変えた。
「けたのか」
「落ちて蓋がいただけよ。を盗んだわけじゃないでしょう」
静は冗談めかして答えたが、隆は笑わなかった。ボタンを布で包み直し、箱へ戻すと、以よりさらに奥へしまった。
「もう戦争が終わって12よ。古い軍のボタンなんて、持っていても仕方がないでしょう」
「これは捨てられない」
「誰のものなの?」
隆は答えなかった。押し入れの襖を閉めると、そのまま呂へ向かった。
健は隣の部で両親の会話を聞いていた。父が戦争へったことはっていたが、どこで何をしたのかは聞かされていなかった。
学では、未来についての話が増えていた。幹線の計画、速、しい化製品。戦争は教科の半にしかれているだけで、健たちにとってはい昔の来事になり始めていた。
方、隆はになると夜にうなされることがあった。乾いた咳をしながら目を覚まし、台所でをんでも、しばらく布団へ戻れない夜があった。
卓にの入ったコップを残すことを嫌い、でも余れば植へ与えた。
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健が蛇を流したまま顔を洗っていると、普段は声を荒らげない父がく叱った。
「を無駄にするな」
「しくらいいいじゃないか」
「しが、命を分けることもある」
父の言葉のは分からなかった。健には、古いボタンも、に対する異常なこだわりも、戦争を引きずる父の理解できない習慣にしか見えなかった。
その頃の健はらなかった。箱に入っていたものが、隆自の軍かられたボタンではないことを。
そして、父がを捨てられない理由と、錆びたボタンを守り続ける理由が、同じの青へつながっていることを。
隆は自分の過を語らなかった。所の男たちが酒をみながら兵隊代の話をしても、輪へ入らず、々に席をった。
戦争の武勇を自する者もいれば、苦労を笑い話に変える者もいた。しかし隆は、戦の話を面おかしく語ることを嫌っていた。
「父さんは、戦争で何か柄をてたの?」
学だった健が度だけ尋ねた、隆は聞から目をげずに答えた。
「柄なんてない。きて帰っただけだ」
「を撃ったことは?」
その瞬、隆のが止まった。静は健を台所へ呼び、度と同じ質問をしないようく言った。
健は納得できなかった。学の友たちは、父親や祖父の戦争体験を語っていた。
軍刀、勲章、戦から送った葉などを持ってくる徒もいた。
健のにある戦争の品は、錆びたボタンがつだけだった。