"忘れられなかった一つの名前" 第5話
昭50代に入ると、隆はを定退職した。の作業で傷めた腰と、戦で悪くした肺の症状がなり、にいるが増えた。
静によれば、隆は戦友会へく回数を増やし、古い名簿を何度も調べていた。本を捜すことを、まだ諦めていなかったのである。
昭58の、健は族を連れて実へ帰った。夕、父が孫への切さを話し始めた。
「昔、がもなくて困ったことがあったんだ」
隆がそこまで話すと、健は黙って父を見た。戦争の話を自分から始めたのは初めてだった。
しかし隆は息子と目がうと、を閉ざした。
「もう遅いから寝なさい」
話はそこで終わった。健はまた拒絶されたようにじたが、以のようにることはできなかった。
父の顔がさくなり、も震えていることに初めて気づいたからだった。いつまでも変わらないとっていた父にも、残されたがくないのかもしれなかった。
昭602、隆は自宅で倒れた。静が救急を呼び、病院へ運ばれたが、そのの夜に息を引き取った。71歳だった。
健が阪から到着した、父の顔にはい布が掛けられていた。最の言葉を交わすことはできなかった。
葬儀にはの元同僚や戦友会の老たちが集まった。彼らは隆を「誠実なだった」
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「の悪を言わない男だった」と語った。
しかし健には、その言葉がどこか儀に聞こえた。父が何を恐れ、何を悔し、なぜつのボタンを守ったのか、族である自分は何もらないままだった。
を終えると、健は静と共に遺品を理した。作業着、古い具、戦友会から届いた会報、几帳面に束ねられた与細が押し入れからてきた。
番奥には、聞に包まれた箱があった。健は子供の頃と同じさをのひらにじた。
「もう、捨ててもいいのかしら」
静が呟いた。しかし健はすぐに答えず、紐をほどいた。
箱のには、変したボタンと、折り畳まれたいが入っていた。以はボタンしかなかったはずだが、隆が晩になっていたらしい。
健は先にボタンを取りした。表面の錆を傷つけないよう布で軽く拭い、初めて裏側をよく見た。
細い傷が文字になっていた。
〈本 弘〉
父の名ではなかった。
健は息を止めた。戦で拾った物なのか、くなった兵士からした物なのか、さまざまな能性がをよぎった。
折り畳まれたには、本の所属部隊、とわれるの名、昭208に別れたの位置が、隆の字で記されていた。
最にだけ、族へ向けた言葉があった。
〈私が果たせなかったなら、できれば本弘という男がいたことだけ、誰かに伝えてほしい〉
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静はを読み、静かに涙を流した。
「お父さん、最まで自分で捜すつもりだったのね」
「母さんは、こののことをっていたの?」
「名だけ。戦で助けてもらっただと聞いたことがある。でも、詳しいことは何も話してくれなかった」
健は父の遺品のから戦友名簿を探した。何冊もの会報には赤鉛で印が付き、本の名を尋ねるのきも残っていた。
所で戻ってきた封筒は30通以あった。、京、福岡、復員者相談所、役所、聞社。隆は40く、で本の消息を追い続けていた。
健は自分が父へ言った言葉をいした。
父さんは昔のことばかり考えている。錆びたボタンなんて捨てればいい。族よりらない誰かとの約束が事なのか。
父は戦争を懐かしんでいたのではない。何かを忘れないため、捜し続けていた。
しかし、なぜ本は父へボタンを渡したのか。父が命を救われたというだけなら、族へ話せなかった理由は何だったのか。
健は戦友名簿に残る話番号へ、件ずつ連絡を始めた。くはすでに使われておらず、本がくなっているもあった。
数週、野県にむ瀬という老へつながった。部隊名と本弘の名を告げると、受話器の向こうでい沈黙が続いた。
「佐藤隆さんの息子さんですか」
「はい。父の遺品から、本さんのボタンが見つかりました」