"名前のない弁当箱" 第10話
だが、帳面を読み返した正は気づいた。
父が守ろうとしたのは建物ではない。誰かが困った、してち寄れる所だった。建物を残して会社を潰してしまえば、その役目も終わってしまう。
正は移転を受け入れた。ただし、しいにも同じの棚を置くことを条件にした。
旧を取り壊す、最の弁当が届いた。包みをくと、には数分のおにぎりと、古びたアルミの弁当箱がつ入っていた。角には見覚えのあるへこみがあり、底にはく「ヤマ」と刻まれている。
昭28に最初に届いた弁当箱だった。
箱のにはが1通あった。
『私は昭50、学のまま、このの棚から弁当をいただいた者です。父をくし、母も病気で、あのは2何もべていませんでした。お弁当がなくなったも、箱だけは返せずに持っていました。あれを見るたび、自分は誰かにきていていいと言われた気がしたからです。
今、私は学で働いています。事があって朝をべられない子どもたちへ、毎朝おにぎりを用しています。名はきません。先からもらったとえば、子どもたちが気を遣うからです。
いお借りしました。今度はこの箱を、次の誰かへ渡してください』
差の名は、最までかれていなかった。
正は弁当箱を両で持ち、の入にった。
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かつて学のへ弁当を渡したのことが、鮮に蘇った。助けたつもりはなかった。ただ、棚にあったものをつ渡しただけだった。
しかしは、そのを何もの子どもたちへつないでいた。
翌、旧の板が取りされた。正は源郎の机と帳面、そして名のない弁当箱をしいへ運んだ。
の堂には、社員なら誰でもべ物を置き、誰でも持ち帰れる棚が作られた。取引先から余った品が届くこともあれば、社員の族が作ったおにぎりが並ぶこともあった。誰が置き、誰が持っていったのかを記録する帳面は作らなかった。
ただ、棚のには源郎の言葉が掲げられた。
『だけで苦しむな。受け取ったものは、いつか次の誰かへ渡せばいい』
が流れ、源郎をる社員はなくなった。それでも毎15になると、には必ず弁当が届いた。
作る者はではなかった。かつて働いていた職の孫、の棚から事を受け取った、所の惣菜、事を聞いた取引先の社員。誰から始まったのかをらない者まで、弁当を届けるようになった。
名がかれているもあった。何もかれていないもあった。
それでよかった。
親切は、誰のものかを証するためにあるのではない。渡したが褒められるためでも、受け取ったを縛るためでもない。
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目のの誰かが、もうをきるために差しされるものだった。
昭28、漏りのするさな町へ届いたつの弁当箱。それは、過の恩を返すためだけの贈り物ではなかった。
関震災の、名もらぬ女性がへ分けた半分の握り飯。戦、源郎が若い員へ差しした米。元社員たちがへ届けた弁当。そして、空腹の子どもへ渡された朝のおにぎり。
形は変わっても、その半分はなくならなかった。
名のない弁当箱に詰められていたのは、懐かしい昭のだけではない。受け取ることを恥じず、受け取ったものを自分のところで止めないという、代を越えて受け継がれるさな約束だった。
の械が止まり、町並みが変わり、そこにいた々の名が忘れられても、その約束だけは次の誰かのへ渡っていく。
だから弁当箱には、最まで持ち主の名が必なかったのである。