みかん小説
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"無一文の清掃員に届いた出前丼(" 第2話

そして、父を荼毘に付し、葬儀のすべてを終えて初めて迎えた正式な診療の朝が、これだった。 この、世界から見捨てられたかのような誰もいない朝が、俺のそののにおいて、もっともかけがえのないになるとは、このときの俺にはる由もなかった。

俺の名は永瀬裕介。今で歳になる。 京からとバスを乗り継いで半ほどかかる、と畑に囲まれたさな町、柏町にある「永瀬病院」の医師だ。専は般内科で、医者になって今で目を迎えていた。 この病院を最初にちげたのは、俺の祖父だった。以の戦もない頃、無医にかったこの町に祖父がさな診療所をいたのが始まりだ。そして、その跡を継いで病院へと発展させたのが、俺の父である永瀬だった。 町の々は誰もが、父のことを親しみと敬を込めて「院先」と呼んだ。方で、俺のことは「若先」と呼んだ。若先、という響きには、親のが含まれていると同に、「偉な院先の息子」という、拭いることのできない付属物としてのいが常に滲んでいた。

正直に状すれば、俺はこれまでので、自分が優秀な医者だとったことなどただの度もなかった。 学病院にいた頃から、級医には「診断が慎すぎる」

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「決断が遅い」と苦言を呈され続けていた。でて板にのように淀みなく病状を説することなど、今でも臓がからびそうになるほど苦だった。医学の頃から領の良さとは無縁で、領のいい同期が回の講義でさらりと暗記してしまう医学用語や解剖図を、俺はノートに回も回もき写して、を抱えながらようやくに叩き込むような男だった。 それでも俺がを着るを選んだのは、物ついた頃から見てきた父の背があったからにならない。 父は、この町で最もく信頼されていた医者だった。俺はその父の威に包まれた病院で、父の分いに隠れるようにして働いていた。 そして、その父の葬儀を終えた翌朝、病院からすべての職員が消え失せたのだった。

永瀬病院は、柏町の駅から緩やかな坂を歩いて分ほどの所にある。 昭の面を濃く残す鉄筋コンクリート階建ての古い建物で、ところどころ壁のいタイルが剥がれ落ち、だれの跡が茶く染み付いている。玄関の自ドアはセンサーの度が鈍くなっており、目のにっても拍遅れてから鈍いモーター音をててく。待の製子は、腰掛けるたびにギシと乾いたきしみ声をげた。 祖父がこのに診療所を建てた当、町にはに医療関がなく、は邪をこじらせても隣町の医院までを越えて通わなければならなかったという。

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祖父がしずつ病を増やし、、父がを継いだ頃には、の入院設備を抱える派な域病院になっていた。

父は典型な昔気質の内科医だった。 臓器別の専分化がむ現代の医療において、父にはこれといった板となる専領域はなかった。いて言えば、「やってきた患者のすべてを診る」というのが父の専だった。 腹が痛いと言われれば腹部にを当てて触診し、夜に眠れないと嘆かれれば診察の子を向かいわせて膝を突きわせ、世話にを傾けた。町の寄りたちは、自分の体のどこかにしでも調があれば、とりあえず永瀬病院へけば院先がなんとかしてくれると信じ込んでいた。そして実際、父はその期待を決して裏切らない医者だった。

だが、その代償として、俺が子供だった頃、父はほとんどにいなかった。 夕の最に話が鳴れば、箸を置いてそのまま夜ののへびしていくのが常茶飯事だった。俺が学の、母が胃がんであっけなく界してからは、古いので父ときりの活になった。きりとは言っても、顔をわせるのは朝の勤のわずか分程度だ。向かいって噌汁をすするも、父はカルテのことや症患者の容態を考えているのか、常に眉にい皺を刻んでいた。

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