平安時代の藤原家に仕える明子の女房たちの中には、高貴な身分の者も多く、その中にはまひろが一条天皇のために物語を執筆することに対して不満を抱く者がいた。彼女たちは、低い身分のまひろが特別な役割を担うことを快く思っていなかった。まひろが執筆のために与えられた部屋で作業を始めたものの、他の女房たちが忙しく動き回る中で集中するのは困難だった。

まひろは夜遅くまで執筆を続けるも、寝室では大きな音を立てていびきをかく者が多く、なかなか眠れなかった。翌朝、早くから起きた女房たちの手伝いをしながら、まひろは慣れない環境に苦しんでいた。夜になると、自室で筆を取るころには疲れ果てており、物語の進行は思うようにいかなかった。このような日々が続く中、まひろは道長に実家に戻って執筆を行いたいと願い出る手紙を送った。

道長はまひろを自分のもとに呼び、物語の続きができたら会いたいと告げた。道長は、一条天皇が藤原の明子に心を寄せていることを憂慮しており、もし明子が巫女を産まなければ権力を握る可能性があったからだ。道長は、まひろにその物語に力があるのか尋ねたが、まひろは「今の私にはこれしかない」と答えた。
まひろは実家に戻り、物語の続きを書き進めることを約束した。道長はそれを了承し、まひろは藤原を離れる前に明子に挨拶に行った。ちょうどその時、周囲に女房たちはおらず、二人きりで話す機会を得た。まひろが「寒くはありませんか?」と尋ねると、明子は「冬が好きです」と答えた。この時、まひろは明子が自らの意思を示すのを初めて見た。

実家に戻ったまひろは、すぐに執筆に取り掛かり、炭鉱三年(1006年)五月には物語の続きを持って再び藤原を訪れた。明子に挨拶すると、彼女は物語の続きを読みたがり、まひろは物語の設定を手短に語った。物語の主人公は、天皇の寵愛を受けた行為が産んだ巫女であり、その巫女が美しく賢く笛の名手であることが語られた。巫女の名前は「光る君」であるとまひろは答えた。
まひろは、日長を通じて一条天皇に物語の続きを献上した。後日、一条天皇はまひろに会うため藤原を訪れ、明子と道長も同席の中、まひろとの再会が果たされた。天皇は光る君の物語に心を奪われたと語り、その理由について尋ねた。まひろは、「金文字で書かれているからだと思います」と答えた。金文字は心を伝えるのに最もふさわしいと考えていたのだ。

一条天皇は、皆に物語を読ませたいと言い、その後、道長はまひろに対し褒美として大木を送ることになった。その大木には、まひろとサブロが川辺で会った場面が描かれていた。しかし、その年の七月、七門殿を興福寺の別途上長が訪れ、道長に対して興福寺の送平三千人が小畑山に集まっていると告げ、訴えを聞き入れなければ屋敷を取り囲み、焼き払うと脅した。
道長はこれに対し、ひるむことなく「やれるものならやってみよう」と応じた。
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